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吉川市の治水の歴史と防災 — カスリーン台風から流域治水まで

machi-now編集部|公開 2026-07-25

過去の主要な水害:記憶と記録に刻まれた猛威

吉川市の歴史において、水害は生活と隣り合わせの存在でした。古くからの記録や伝承に留まらず、近現代においても大きな被害が記録されています。

カスリーン台風(1947年・昭和22年)

吉川市(当時は吉川町など)における近代史上最大級の水害が、1947年9月のカスリーン台風による被害です。

  • 被害の経緯: 上流の豪雨により利根川が増水し、現在の埼玉県加須市(旧大利根町)付近で右岸堤防が約340mにわたって決壊しました。押し寄せた濁流はかつての利根川の旧流路(中川沿いなど)に沿って南下し、約2日後に吉川へ到達しました。
  • 被害規模: 市内(旧町村域)のほぼ全域が浸水し、浸水被害家屋は2,269棟に上りました。地域によっては浸水深が2.5mから5m(一部記録では3.5m前後)に達し、死傷者3名、家屋全半壊5棟などの深刻な被害をもたらしました。

昭和57年(1982年)台風18号

昭和30年代後半以降、吉川市周辺では急速な都市化と宅地開発が進みました。1982年9月の台風18号では市内に激しい豪雨が降り、急増した雨水が河川へ集中したことや流下能力の不足から、市内各所で道路冠水や床上下浸水が発生しました。都市化に伴う「内水氾濫」のリスクが顕在化した事例として知られています。

水害の記憶を今に伝える自然災害伝承碑

江戸時代から明治・大正期にかけても、吉川市域では「白ひげの大水」をはじめとする氾濫や江戸川からの逆流被害が頻繁に発生していました。市内の各地には、水害の鎮静や復興への祈り、後世への教訓を刻んだ石碑が残されています。

  • 大威徳明王(だいいとくみょうおう):水害除けを祈願して建立された石仏。
  • 協同碑・重修加藤樋之碑:水害の克服や用水・排水施設の改修に尽力した先人たちの労苦を伝える碑。 これらは吉川市の文化財や国土地理院の「自然災害伝承碑」として登録・保存され、現代の住民に防災の教訓を伝えています。

治水の歴史と進化:低地を護るインフラの歩み

吉川市域は、かつて「吉川郷」「彦成郷」と南側の半郷を合わせて「二郷半領(にごうはんりょう)」と呼ばれていました。水はけが悪い低湿地帯であったため、江戸時代から現代に至るまで、絶え間ない治水・排水技術の導入が行われてきました。

江戸時代の流路改変と農業用水

江戸時代初期、幕府の関東郡代である伊奈忠次・忠治らによって利根川東遷事業や江戸川の開削、庄内古川(現在の中川)の改修が進められました。これにより、水田開発(早稲米の栽培)が進んだものの、遊水地としての性格も持つ低地であったため、洪水時には水が留まりやすい構造でもありました。農民たちは二郷半領用水などの利排水路を維持しつつ、水害に耐える生活を営んでいました。

現代の広域治水インフラ整備

カスリーン台風やその後の浸水被害を受け、国・埼玉県・周辺自治体が連携した大規模な治水インフラが建設・整備されてきました。

  1. 三郷排水機場・三郷放水路(三郷市) 吉川市の南隣に位置する三郷排水機場は、中川の水位が上昇した際に巨大ポンプで中川の水を汲み上げ、三郷放水路を経由して容量の大きい江戸川へ強制排水する施設です。これにより、吉川市を含む中川中流域の浸水リスクが大幅に軽減されています。
  2. 首都圏外郭放水路(春日部市) 中川・大落古利根川などの周辺中小河川が増水した際、溢れた水を地下約50mに設けた巨大なトンネル(調圧水槽)に取り込み、江戸川へと排水する世界最大級の地下放水路です。吉川市の上流域での溢水を抑えることで、下流への流入量をコントロールしています。
  3. 吉川排水機場と地域のポンプ施設 市内の内水を中川や江戸川へ素早く排出するため、吉川排水機場をはじめとする排水施設が運用されています。
  4. 流域治水の推進と特定都市河川指定 令和6年(2024年)3月には「中川・綾瀬川等」が特定都市河川に指定されました。これにより、堤防や排水機場の整備(ハード対策)だけでなく、雨水貯留・浸透施設の設置、宅地開発における雨水流出抑制など、流域全体で水を受け止める「流域治水」の取り組みが強化されています。

現在の防災体制:ハザードマップと地域の取り組み

吉川市では、地理的リスクを踏まえた効果的な防災・減災体制の構築が進められています。

防災ハザードマップの考え方

吉川市が発行する「洪水ハザードマップ」および「減災マップ」は、国や埼玉県が公表した想定最大規模の降雨(1000年に1回程度の確率)を前提に作成されています。

  • リスクの可視化: 江戸川や中川の堤防が破堤・溢水した場合の「外水氾濫」と、大雨が市内に溜まる「内水氾濫」の双方が想定されています。
  • 広域避難・早期立ち退き避難の重視: 低地である吉川市は、ひとたび広範囲が浸水すると水が引きにくく、浸水が長期化する可能性があります。そのため、ハザードマップでは単に近くの避難所へ行くことだけでなく、状況に応じた「水害発生前の広域避難(市外や安全な高台への移動)」や「早期の立ち退き避難」の重要性が強調されています。

避難場所・情報の整備状況

  • 避難所の確保とマニュアル整備: 市内の小中学校や公共施設などが指定緊急避難場所・指定避難所として指定されており、「避難所開設運営マニュアル」に基づいて災害時の迅速な受け入れ体制が準備されています。
  • 要配慮者支援: 高齢者や障害者など、自力避難が困難な方を対象とした「災害時避難行動要支援者避難支援計画」および個別避難計画の策定が進められています。
  • デジタルツールの活用: アプリ「吉川減災ナビ」や市公式LINEなどを通じて、ハザードマップの閲覧(一部オフライン対応)や、避難指示・気象情報の即時配信が行われています。

江戸川・中川という2つの川がまちに与えてきた影響

江戸川と中川は、吉川市の歴史、文化、産業、そして防災のすべてにおいて根幹をなす存在です。

水の恵みとまちの発達

  • 豊かな農業地帯: 二つの川がもたらした肥沃な沖積土壌は、県内有数のブランド米や「早稲米」の産地として吉川の農業を育てました。
  • 水運と経済の栄え: 江戸時代から明治時代にかけて、中川の「吉川河岸」「平沼河岸」は江戸・東京とを結ぶ物資の集散地として賑わいました。この水運文化は、川魚料理(なまず料理など)といった吉川独自の伝統的食文化の形成にも繋がっています。

試練と共生の知恵

川の溢水や浸水という試練は、地域社会の結束力を強める契機となりました。水害のたびに住民が協力して復興にあたり、治水事業を訴え続けてきた歴史は、吉川の地域コミュニティの基盤となっています。

未来へ向けた共生

現代における吉川市は、広域的な治水インフラの恩恵を受けながらも、水害リスクを正しく認識し、「水と共に生きる街」としての防災まちづくりを進めています。川がもたらす豊かな自然景観や水辺空間の魅力を享受しつつ、ハード・ソフト両面での備えを怠らない姿勢が、吉川市の安全な暮らしを支えています。


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