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吉川市の歴史 — 芦川から「なまずの里」、そして吉川美南へ

machi-now編集部|公開 2026-07-25

埼玉県吉川市がどのようにして今のかたちになったのか、地名の由来から近年の駅周辺開発まで、公開されている情報をもとに時系列で整理します。

地名「吉川」の由来

「吉川」の地名は、もともと「芦川(あしかわ)」と呼ばれていたことに由来するとされています。川沿いの低湿地に「アシ(葦)」が多く自生する土地柄であったため「芦川」と名付けられたと考えられていますが、「アシ」という音が「悪(あし)」に通じることを忌み嫌い、アシの別称である「ヨシ(良し)」へと呼び換えられ、縁起の良い瑞祥地名として「吉」の字が当てられ「吉川」に変化したと伝えられています。古文書には「吉河」と表記された例もあります。

江戸時代以前〜近世: 川に挟まれたまちの成り立ち

吉川市は東側を江戸川、西側を中川に挟まれた沖積低地(平均海抜約4.2m)に広がっています。海が後退して陸地化が進むと自然堤防や後背湿地が形成され、古墳時代後期頃から人々が定住し始めたとされています。中世には「吉川郷」「風早庄」「二郷半領(にごうはんりょう)」などの名で呼ばれ、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』にもその名が登場します。南北朝時代の1361年(正平16年/延文6年)には、既に市(市場)が開かれていた記録が残ります。

江戸時代には天領・旗本領として整備され、治水と並行して新田開発が進みました。湿地帯を生かした早稲米(わせまい)の産地として知られたほか、中川・江戸川を利用した舟運(吉川河岸・平沼河岸)により、米や物資の集積・搬出地として発展しました。

明治以降〜市制施行までの歩み

  • 1889年(明治22年)4月1日: 町村制の施行により吉川村・旭村・三輪野江村が誕生
  • 1915年(大正4年)11月1日: 吉川村が町制を施行し「吉川町」に
  • 1955年(昭和30年)3月1日: 吉川町・旭村・三輪野江村が新設合併し、新たな「吉川町」が発足
  • 1973年(昭和48年)4月1日: 国鉄(現JR)武蔵野線が開業し「吉川駅」設置。吉川団地など大型住宅団地の建設が進み、ベッドタウンとして人口が急増
  • 1996年(平成8年)4月1日: 町から市へ昇格し、埼玉県内38番目の市として「吉川市」が誕生

「なまずの里」の背景

江戸時代、江戸川・中川の恵みを受けたこの地域では、ナマズやウナギなどの川魚料理が発達し、「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」と評されるほどの名声を誇りました。1990年代以降、市はこの歴史的・文化的な資産を生かした「なまず」を軸としたまちおこしを進め、1995年(平成7年)にはJR吉川駅南口ロータリーに「金のなまず像」(人間国宝・室瀬和美氏制作、金胎漆塗り金箔仕上げ)が設置されました。現在は市のシンボルマークや公式マスコット「なまりん」のモチーフにもなっています(なまずの里の食文化についてはこちらの記事も)。

近年の変化: 吉川美南駅と駅周辺開発

2012年(平成24年)3月17日、JR武蔵野線「吉川美南(よしかわみなみ)駅」が開業しました(つくばエクスプレスではなくJR武蔵野線の駅です)。旧武蔵野操車場跡地を活用した請願駅として新設され、駅周辺では大規模な土地区画整理事業が進められています。東口周辺地区では「越谷都市計画事業吉川美南駅東口周辺地区土地区画整理事業」(施行面積約59.1ha)が2017年(平成29年)6月に事業計画認可を受け、商業施設や住宅地、都市公園などのまちづくりが進行中です。

人口は1996年の市制施行時に約5万3,000人でしたが、新駅開業や沿線開発を背景に増加が続き、2020年代前半には約7万2,000人規模に達しています。

注意

年代や数値の一部(金のなまず像の設置日など)は出典間で表記に差異があります。最新・正確な情報は下記の出典元でご確認ください。

出典

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